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日暮の旅行日記・京都&大阪2008/第4話「蛤の傷跡」

 またまた京都旅行とは関係ありませんでしたが、今日はダイ・ハードを見ました。最新の4.0じゃなくて初代のやつですね。
 24の後に見ると、非常にすっきりまとまっていて面白かったです。映画だから短時間でまとめなきゃどうにもならないんですけどね。
 主人公のジョンは、何かその辺りの兄ちゃんっぽい口調で親近感が持てます。危ない刑事のタカみたいなイメージかなぁ。個人的に一押しはアーガイルですけどね。リムジンの運転手。ああいう小憎らしくて愛嬌あって美味しいとこ持っていく奴は卑怯だと思います(良い意味で)。


 さて、京都旅行の続きです。
 正直、そろそろ連載とかも書かないとなぁ、と思ってはいるんですが、これとか別件であまり手が回っていなかったりします。新生活に向けての準備もいろいろとありますのでね!

 さて、早速ですが我々「チーム・ぷいにゅ」は梨木神社を離れ、護王神社に向かい始めていました。ちょうどその間に蛤御門があるというので、是非とも見ておこうと思っていた矢先。

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[清水谷の椋(むく)]

 こんな木が視界に飛び込んできたではありませんか。
 某センチメンタリズムな乙女座のフラッグ・ファイターの話をしながら、この写真の手前にある看板を見ると、さり気なく気になる一文が。
『来島又兵衛がこの辺りで討死したと伝わっている』
 こいつはびっくりです。似非歴史好きの私でも知っている有名人・長州の特攻中年来島さんのことが書かれているではありませんか(分からない人は検索してみましょう)。
 何気ないところにも伝承あり。
 京は本当に深いところですねぇ……。


 そうしていよいよ蛤御門に到着した三人。早速記念撮影をしようとしたところ、仲間二人に異変が

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[蛤御門で霊と戦う緑とピーター]

 ……どうしたんでしょう。この場に残る長州藩士の無念を見てしまったのでしょうか
 とまあ怒られそうな冗談は置いておいて、蛤御門と言えば「禁門の変」でございますよ。幕末好きなら名前ぐらいはまず知っているであろう大事件。その舞台にやって来たわけです。……どきどきするなぁ(危ない人か)。
 簡単に説明すると、幕末において大きな存在感を示したのは薩摩・長州・土佐・会津などの藩なのです。このうち長州は、吉田松陰の死後から尊王攘夷の急先鋒として京都で活発に活動。これを危惧した会津や薩摩によって、京都から締め出されてしまったのです。
 これに加えて、会津藩お抱えの新撰組が池田屋で長州藩士含む尊王攘夷の志士を斬るなどの事態が相次ぎ、とうとう長州藩の急先鋒、来島又兵衛や久坂玄瑞が耐えきれなくなって京都に武力介入を試みたのでした。
 と、これが禁門の変または蛤御門の変と呼ばれる事件なわけです。
 この一件で長州は惨敗したうえに、御所に攻撃を仕掛けたという名目で朝敵にされる始末。幕府も本腰入れて長州討伐を試み、長州藩内でも幕府に従った方がいいんじゃない? という人々が主導権を握るようになったわけです。下手すりゃここで明治維新終わってた可能性もありますね。何らかの形で薩摩がそれを実現してたかもしれませんが。
 るろ剣読んでた人には、この辺りで剣心と巴が一緒に暮らし始めたと言っとけば分かりやすいかもしれません

 で、歴史的意義もそうですが実際の戦闘も結構過激だったようで。
 長州は来島又兵衛・久坂玄瑞といった有力な人物が討ち死にしてますし、京の町も結構な被害を受けたそうな。

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[蛤御門の傷跡]

 で、この写真は当時の銃弾の名残り。
 写真にはこれしか映ってませんが、実際はもっとたくさんあります。冗談抜きで、多くの人(大半は長州藩士)がここで命を落としたんでしょうねぇ……。

 ちなみに「蛤御門」という名称の由来は、江戸期にあった大火の際、それまで閉じていたこの門が開かれたことによるそうな。焼けて開く蛤に例えた、ということですね。こういうのも含めて、昔の人のネーミングセンスは面白みがあると思うのは私だけでしょうかね? 一見すると凄く難しい古典の話なども、訳してみると割としょうもないこと書いてたりしますし。

 そんなわけで、個人的に興奮した蛤御門はここまで。
 続いて、京都御苑を後にして護王神社へ。

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[護王神社]

 この神社は和気清麻呂とその姉・和気広虫を祀っており、清麻呂の難事を救ったという逸話から猪の像が置かれています。お守りなども猪マークがあちこちに。
 清麻呂は奈良時代の有名なエピソード、道鏡事件の当事者の一人。この事件に関しては、何分古い時代だけにいろいろな見方があるようで、さほど詳しくない私が語れるような分野じゃございません。
 私が言えるのは、我々の間で「広虫お兄さん」という言葉が定着してしまったことぐらいです。……いや、当時の人の名前って男女の区別がつきにくいというかね。広虫という名前で女性がどうしても浮かんでこなかったのですよ!(酷い)
 まあ小野妹子というもいましたしねえ。今の感覚で捉えていてはいけないという良い見本ですな。

 ちなみに私はここで両親への土産用に腰と足の御守りを購入。
 自分用にも買っておけば良かったかなぁ、と旅行から帰宅した後に後悔

 その後は二条城の方まで徒歩で移動することに。

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[菅原院天満宮、初湯の井]

 予定にはありませんでしたが、歩き道の途中で発見して立ち寄ったのがここ。あの学問の神様・菅原道真公の初湯の伝承があるんだそうな。
 道真とは関係ありませんが、私が卒論で足利尊氏のことを調べていた際も、「上杉荘には尊氏産湯の井戸がある」という記述を目にした記憶があります。産湯伝承というのがあったんでしょうかね。何か不思議な感じがします。

 ちなみに、写真右下の時刻を見てもらえば分かると思いますが……。
 まだ、一日目の午前十時にもなってません!