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日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/最終話「一つの時代の終焉」

 今日は大学の友人ピーター(日暮の京都旅行記2008参照)と一緒に、さいたま新都心で映画を見てきました。隠し砦の三悪人とコナンの二点。前者は、内容が面白かったんですが、エンディングがちょっと雰囲気違ってたような……。逆にコナンは、内容今一つでしたがエンディングが良かったですね。懐かしい。
 しかし、仕事のこととかで説教臭くなってしまったのはいただけないなぁ。反省しないと、そのうち自分がどつぼにはまって地獄を見ることになりかねません。ゆめゆめ油断しないよう気をつけねば。


 さて、これで終わりの日暮の旅行日記・伊豆&箱根。
 前回は小田原城の本丸付近に突入した辺りまで。

 比較的来訪しやすい場所にあるからか、賑わっている城内。ひとまず昼食でも取ろうと思った矢先、またもやはぐれるバスターズの面々。本当に協調性がまるでない連中です。まあ私もその一員なんですが

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[小田原城天守閣]
 昼食を取り終えて無事合流を果たした後、今度は天守閣の中へ。
 一時間もあれば見終わるだろうと見てたのですが、じっくり見てたら数時間はかかりそうな規模。中にはたくさんの史料がありました。出来ればゆっくりと見て回りたかったものの、ここで時間を使うと帰宅時間が遅れ、翌日に控えていた研修に差し支えが出てしまう、との理由から、割と急ぎ足で見て回った気がします。消化不良にも程がある!
 ちなみに、この天守閣見学もばらばらで行動。気づけば私はひとりぼっちでした。……もしかしたら一番協調性ないのは私かもしれません。

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[天守閣からの風景]
 石垣山一夜城の方角を天守閣から眺めた図。壮観かな壮観かな。
 この辺りから氏政らは突如出来上がった城を呆然と眺めてたんでしょうかねえ。そりゃびっくりもするわ。

 そして、天守閣最上階でお土産を買った後は車に乗って東京へと帰還。
 途中用事があるというGUCCIを途中で降ろし、残りの四人で割と危険な会話をしながらレンタルした店へ。
 それからは特に何があるわけでもなく、普通に分かれて旅行は終了しました。京都旅行のときとはえらい違いだ……。まあ時間なかったので仕方なかったんですけど。日記的には微妙な終わり方で面白くありませんよ!

 とりあえず、旅行は時間に余裕を持って、三ヶ月くらい前から準備せんとなあ、ということは身にしみて分かりました。

 ではでは、ぐだぐだな終わり方ではありますが、日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008、これにて閉幕でございます。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第十二話「天下の名城ここにあり」

 さて、この旅行日記も今回を含め、あと二回(もしくは三回)で終わりを迎えることになります。大分うろ覚えになってしまいましたが、ここまで来たら最後までちゃちゃっと書ききってしまいますかね。


 ポーラ美術館を後にした我々バスターズの面々は、再び東進、箱根湯本を通り過ぎて一路小田原へ。この旅行最後の名所、小田原城の観光のためです。まあ何人かは高校のときの修学旅行で来てたらしいんですけどね……。俺も出来れば行きたかったさ!

 ちなみに小田原城は、戦国時代の後北条氏が誇った天下の名城。武田信玄や上杉謙信らと後北条氏が渡り合えた要因の一つは、間違いなくこの城にあったと言ってもいいでしょう。
 その規模は信長の安土城や秀吉の大阪城と比べても引けを取らない程度のものだったらしく、江戸時代になると、その規模の大きさを危惧した徳川家によって改修工事がなされました。現在の小田原城は後北条氏時代のものではなく、江戸時代の大久保氏時代のものが基礎となっている模様。

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[城前は憩いの場に]
 小田原城近くの駐車場に車を停めて早速城へ。
 城門前の辺りは広場っぽくなっていて、のどかな憩いの場になっています。まあ時間の都合もあり、あまりここでのんびりもしてられなかったので、我々はすぐに中へと進んでいったのですが。……本当、この旅行もうちょい時間欲しかったよなあ。

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[いざ門の先へ]
 門の内側に入ると、会談らしきものがあったので興味本位で登ってみることに。そこにあったのはいくつもの穴でした。外敵が来たらここから弓とか鉄砲で応戦するつもりだったのかなぁ……。大久保氏時代に造られたものだとすると、実際に用いる機会はなかったんでしょうけど。

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[城の中に畑が]
 いやまあ別におかしくはないんですが、ここって誰が作業してるんだろう……。観光客の視線が集まって、結構精神面で疲れそうな感じがするのですが。

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[そしてなぜか猿]
 って、これはさすがに意味が分かりません!
 後々になって分かったんですが、小田原城内って動物園や遊園地があるんですねえ……。しかしなぜ城の中に。悪いとは言いませんが、ちょっと期待と違っていて肩すかしを食らった気分です。


 というわけで、今日はここまで。
 続きは明日。多分それで、この旅行日記もおしまいです。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第十一話「ポーラ美術館」

 さて、久々の伊豆旅行日記です。気づけば一週間が過ぎ去っていくばかりな日々なので、休日ぐらいはこうして更新していきたいところ。


 早雲寺を後にした日暮は部屋に戻り、まだ寝こけているバスターズの面々を目にする。「ああ、このタイミングで早雲寺行ってて正解だったなあ」などと思いつつ、各々が起きるのをのんびりと待つことに。
 早めに起きるのが私、適当な時間に起きるのがゴリ、起きることは起きるけどまた二度寝するゴッド、起きても超テンション低い江頭、完全に爆睡しているGUCCI。
 朝弱い人間多過ぎますよ!
 こいつらの辞書には「早起きは三文の得」という言葉が入っていないのだろうか……。

 で、のんびり朝食をとったあとは、箱根湯本から西進して山中のポーラ美術館へ。ここはGucciの希望で来ることになったので、私自身はどういう場所かさっぱりでした。
 ちなみに、そこまでは江頭が運転。前日の箱根坂越えもそうですが、この辺りは本当にカーブが多くて大変だ……。

 で、当の美術館は洋風の画展と和風の画展が両方揃っているという、なかなか充実した場所でした。さすがに館内は撮影禁止なので、今回はその場にあった絵をアップすることは出来ないんですが……。
 絵だけでなく、それを描いた画家の話や絵の説明文などもありましたので、素人の私でも十分に楽しめました。
 ……んー。
 さすがに一か月以上経ってるので、詳細な説明が出来ない……。結構良いところだったのは覚えてるんですけど。

 まあとりあえず、次は小田原城。そろそろこの旅行日記も終わりが見えてきました。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第十話「新九郎」

 明日むっつりバスターズのメンツと会うので、まだ旅行の写真渡してない連中にやろうと印刷していたところ、インク切れが発生(つい先程。午後十時過ぎ)。さあどうする。


 そんなこんなで今日も相変わらずの旅行日記。
 ゴールデンウィークに何か書くようなことはないのかと言われそうですが……
 ありません!
 基本的にいつもの土日と同じです! 家族でどこか行こうと考えたものの、遅すぎたのか宿の予約が取れなかったんですよ。なので出かけると言っても駅前の辺りまで行ったりするぐらい。
 絶望した! 味気なさすぎるゴールデンウィークに絶望した!
 来年は有給で有意義なゴールデンウィークを過ごしてやる……!


 では気を取り直して旅行日記本編。
 グロッキー状態から回復した私は、翌朝六時前後に覚醒。すっきり頭痛も治まっていました。しかし、周りはまだ皆ぐっすり熟睡。バスターズの連中は夜型が多いので、朝に弱いようです。
 ここで脳裏に浮かんだ選択肢は三つ。
「皆のだらしない寝顔を激写して『寝起きスペシャルごっこ』を実行する」
「寝てる傍で変な言葉をささやいたら夢の内容が悪化する、という漫画でありそうなパターンを実際にやってみる」
「特に何もせず待つ。現実は非情である」
 まあ一と二は実際にやったらえらいことになりそうなので、仕方なく三を選択。まあ考えるだけでこんなこと実際にやったりはしないのが紳士というものです。考えるだけならしょっちゅうしてますが

 しかし、待ってるだけというのも暇なもの。本でも読もうかと思った矢先、少しずつ皆が起きてきました。もっともベッドから出る気力はまだない模様。
 このとき私の脳裏に、ある考えが浮かび上がりました。
(考えてみればこの旅行は今日で終わり。今日は一旦西に向かってポーラ美術館、その後再び東進し小田原城に向かう。そうなると時間は微妙っ……! 翌日に研修を控えている身としては、小田原観光を終えて帰宅するのも出来るだけ早い時間が良い……。どうなんだ、早雲寺ッ! 行く時間はあるのか!? ないなら今……行くべきじゃあないのかっ!?)
 そう。この旅行、とにかくこちらの予測の斜め上を行くというどっかの王子並の厄介な性質を持っている、ということに、この頃私は気づきつつありました。特に時間関係。車での移動は電車などと違って正確に何分で着く、というのが予想出来ない。帰りのことを考えると、高速の出入り口で詰まる危険性も非常に高い。余裕には余裕を持って行動しないと、到底スケジュール通りには行きません。
 修善寺も全て回れたわけではなく、蛭ヶ小島も足を運ばずじまい。それらはまだ良いのですが、この旅行で私が是が非でも足を運んでおきたかった「韮山城」「早雲寺」「小田原城」は譲れません
(妥協はしないっ! 俺は……見に行く!)
 決断するやいなや、私は起きかけていた皆に「ちょっと早雲寺行って来るわ」と言い残し部屋を出発。前日ぶっ倒れていた私が心配だったのか、ゴリも一緒に行くことに。
 坂道が多い中「ツンデレがどうだ」の「ヤンデレがどうだの」という会話をしながら早雲寺へ。ちなみに私はツンデレは特に好きでも嫌いでもなく、ヤンデレは普通に怖いと思う人間です。互いに腹の探り合いとかするのはちょっと良いかな、という気もしますが(ぇ

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[ゴリはいてつくはどうを使った!]
 ということで早雲寺の門前に到着。宿から歩いて六分程度で着きました。駅からも近いし行きやすい観光スポットですね。朝早いのでまだ誰もいませんでしたが。
 ちなみに正門の写真、これしか撮ってませんでした。無人バージョン取っとけば良かった。まだ頭痛の影響が残ってたのかなぁ。

 何日か前に雨が降っていたのか、寺の土は結構ぬかるんでました。入ってすぐに本堂、そこから左に進んで見ることに。少し進むと階段があり、そこを上ると……。

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[北条五代の墓]
 後北条氏五代の墓が並び立っていました。右から順に初代・北条早雲、二代目・北条氏綱、三代目・北条氏康、四代目・北条氏政、五代目北条氏直。初代から通して、皆通称は新九郎です。
 関東一円を支配した大名家の墓としては質素に過ぎるんじゃないか、という印象を抱きがちですが、元々後北条氏は自分たちの贅沢よりも領国の安定を重視していた家柄。むしろ、こういう質朴な感じのする墓の方が似合うかもしれません。

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[曲直瀬道三……?]
 あれ、なんでこんなところに曲直瀬道三の墓が……と思っていたんですが、後々これは道三の養子の墓だということを知りました。確か直接見たときはゴリに対して偉そうに「道三ってのはだな」と語ってたような気がします。何この知ったかぶり。

 他にも宗祇の墓があったらしいのですが、これは発見できず。あまりのんびりと見てたら朝食の時間になってしまうので、結構時間を気にしながらの観光でした。幻庵が作ったという庭園も見てみたかったのですが、それもまた今度の機会に。

 ちなみに、宿に戻った私とゴリを待っていたのは、まだまだ爆睡してる他のメンバーの姿でした。いったい何時まで、どんな話をしてたのやら。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第九話「お気疲れの紳士(偽)」

 箱根の天嶮を超えたむっつりバスターズの面々は、箱根湯本駅に到着。坂道の多い宿場なので車での移動は難儀でした。人も結構多いし入り組んでるので。

 どうにかこうにか宿に無事着くと、一行は部屋でぐだーっとしたりだらーっとしたり。ゴリは何か筋トレとかしてたような気がします。ふっ、ふっ、筋肉、筋肉が唸る!
 しかしまあこの頃からちょいと頭痛に見舞われ始めていた人間が約一名おりまして。
 まあぶっちゃけると私なんですが。
 頭痛なんて放っておけばすぐ治る。そう思っていた時期が俺にもありました……(ぇ

 その後、宿一番の目玉であるバイキングに出発。
 一人九〇〇〇円で朝夕の食事つき、しかもどちらもバイキング!
 バランスよくそこそこ食ってるのもいれば(江頭)、見てる方が気持ち悪くなるぐらい食べまくる奴もいました(ゴリとGucci)。ちなみに私やゴッドはひたすら好きなものばっか食べてました。マグロとかカニとかマグロとかマグロとか(をい

 しかしその辺りが限界だったんでしょう。
 夕食が終わる頃には頭痛が次第に悪化、私はえらくグロッキーになってました。ゴリ曰く「気疲れなんじゃない?」
 確かに気疲れは結構ありました。特に時間のこととか観光地決めのときとかルートの都合とか宿のこととか。当初はそういうはずじゃなかったのに、いつの間にか私がほとんど幹事役やってんじゃん! というような状態でしたからねえ。車の運転という面ではゴリと江頭にお世話になりましたが。
 あと今にして思えば、箱根越えのとき車の窓が思いっきり開けっ放しだったので、風邪をもろに浴びてたってのもあるかもしれません。閉めておけば良かった。

 しかし時間が時間なので薬局が空いているわけでもなし。
 とりあえず宿のフロントの方に尋ねてみたら、備えの薬を貰えました。計算通り……!(待て

 どうにかこうにか、夜寝る前になると多少は回復。確かGucciと恋愛話をしてたような気がします。振り返ってみればこの旅行では彼とよく話したな。

 回復した日暮には一つの懸念があった。それは"時間"の問題である。
 念には念を。己の願望を満たすため、日暮は早朝、こっそり部屋を抜け出すのだった……!
 次回、『雨上がりの朝の寺』

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第八話「後北条氏最初の城」

 どうでもいいことなんですが、「さいしょ」と打つと「税所」が第一候補として出しゃばってきます。何か嫌だ……。入力した覚えなんかないんですが。

 さて、伊豆旅行日記の続きです。
 修善寺の観光を終えたむっつりバスターズは、その足で北上、伊豆長岡の辺りまで戻ってきました。目的地は、そのままもう少しだけ北に行ったところにある韮山。個人的には、今回の旅行で是非とも行ってみたかった場所の一つです。
 私は「箱根の坂(司馬遼太郎)」を読んで以来、戦国時代に関東を治めていた後北条氏に関心を持つようになりまして。
 この韮山というのは、その後北条氏の初代・北条早雲こと伊勢新九郎が戦国大名へと飛躍して以降、死ぬまで本拠地としていた場所なのです。もっとも、後北条氏が滅ぼされ、江戸時代が始まる頃になると城は廃城になったと言われています。そのため現在残っているのは跡地のみ。後北条氏好きでなければあんまり面白くない場所かもしれませんね。

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[韮山の城池]
 韮山城の側にある城池。昔は湿地帯だったと伝わっているので、もっとこういう池や沼が沢山あったのでしょう。ちなみに、この近くには源頼朝が配流されたということで有名な蛭ヶ小島があります。時間的な問題で行くことは出来ませんでしたが。……伊豆地方は石橋山古戦場とか堀越御所跡とか、まだまだ行ってみたい場所が沢山残っています。そのうちまた足を運んでみたいものですが。

 ということで早速、旅行三度目の山登りを実地。
「何か山ばっかり登ってる気がするなあ」とは江頭の談。申し訳ない。多分それは十中八九私のせいだ。

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[早雲が創建したとされる韮山の熊野神社]
 山に入ってほどなく見つけた熊野神社。祀られているのはイザナミ。創建者は北条早雲で、一五〇〇年に建てられたらしいです。
 しかし、なぜイザナミを祀ろうとしたのかがちょいと気になりますね。イザナミはイザナギと共に国産みをした神。「新たな国を作る」という気概からこれを選んだ、というようにも考えられますが、それ以外にもイザナミは「黄泉の神」という側面もあるので、別の意図があったのかもしれません。
 早雲は伊豆・駿河に下向する前は京にいたというのが現在有力視されている説です。当時の京は応仁の乱の影響もあって荒廃、餓死者も多く出たと言います。……さて、そういう背景はこの熊野神社創建に関わっていたのかどうか。

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[かつては早雲も行き来したであろう道]
 さて、話が脇道に逸れました。
 これは韮山城の一風景。何か特別なものがあるわけではありませんが、古来ここで何が行われたのか、ということを想像すると楽しくなります。
 韮山城は早雲没後も伊豆支配の重要拠点とされ、豊臣秀吉の北条氏包囲網を前にしながら勇戦したと伝わっています。

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[山上から見下ろす韮山の風景]
 広がる田園風景。
 ここが多分一番高いところだったのかな? やや時間を気にしながらの観光だったので、その辺り確実なことは言えませんけど。
 ここで各々いろいろ叫んでました。何言ったかは結構うろ覚えなので割愛。

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[箱根の坂を越えて]
 その後、山を降りたバスターズは箱根の天嶮を越えて、箱根湯本駅の方へ。二日目の宿に向かうためです。
 このとき車内はほぼ全員が力尽きてダウン。やはり三度もの山登りはしんどかったのか……。運転してたゴリも若干静かだったので、「こいつ寝るんじゃないだろうな」と内心不安だったのは秘密です。


 箱根湯本を訪れたバスターズ!
 二日目の夜、そのとき起きた予想外の問題とは!?
 次回「グロッキーなのは誰だ?」

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第七話「鎌倉幕府創設の陰」

 さて、さくさく進めていきます伊豆旅行日記。
 西伊豆の海を後にしたむっつりバスターズは、そこから車で修善寺へ。
 観光名所だけあって、かなり賑わっていました。駐車場に困るぐらいに。けちっていたら止める場所なくて行ったり来たりしてしまいましたよ。あれは八割方渋った私のせいですが(ぇ。

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[修善寺にやって参りました]
 ともあれ、伊豆の観光名所の一つである修善寺にやって参りました。
 ここは源範頼、源頼家などが幽閉されて最期を迎えた地。鎌倉幕府創建の裏では結構血生臭いことや悲惨なことがありましたが、この寺はその象徴の一つかもしれません。
 現在は明るい宿場町なんですが、私はそういう前知識を持って来てしまったので、当時のことをあれこれと考えたりしてしまいました。範頼は義経と比べてより悲惨な気がするのは私だけでしょうかねえ……。まあ口は災いのもとということでしょうか。
 鎌倉創成期の主役でありながら、源氏の人々は皆どこかしら不幸というか気の毒な印象があります。頼朝も含めて。

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[桜と緑と]
 桜は勿論好きなんですが、緑の葉も最近良いよなぁ、と思うようになってきました。草の香りとか結構好きなんですよ。季節を感じられる、というのが一番の理由ですかね。

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[なぜか獅子に乗ってる義経]
 で、山に登って義経像を発見。
 ……義経か、これ?
 別に美形が出てくるのを想像してたわけではありませんが、何かイメージと違います。そりゃ実物見たわけじゃないので何とも言えませんが……なんだろう、このもやもやとした気持ちは。
 そして下にいる獅子は一体何なのか……未だに謎です。

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[一枚は出しておきたい風景写真]
 気を取り直して修善寺周りの風景写真を一枚。まあほとんど町並みは写ってませんけど。
 人物写真も良いですけど、旅をするからには風景写真が欠かせない、などと偉そうに考えるようになりました。行った場所のことをよく思い出せるから、ですかね。

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[独鈷の湯……の辺り]
 最後はこちら。弘法大使・空海の逸話が伝わる伊豆最初の温泉でございます。この写真は、正確に言うならその近くを撮ったものですけど。温泉自体は小さいもので、足をつけることができる程度。他の人も足をつけてたりしたので、さすがに撮影はちょいとしにくかったのです。
 これは修善寺のすぐ手前。修善寺ともども、空海が創建に関わっていたんだとか。平安時代の最初期。……古いですねえ。

 そんなわけでむっつりバスターズ、二度目の山登りを終えて、急ぎ足ながら修善寺の観光を終了!
 次回、『二度あることは三度ある!』。
 多分明日辺りに更新!

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第六話「駿河に向かう海を見る」

 さて、久々になる伊豆旅行記。そろそろ記憶が淡いものになりつつあります。忘れないうちに書かなければっ。


 一日目、三島大社を見て宿に泊まったむっつりバスターズ。
 翌日はどこから回ろうかという話になり、まずは西伊豆の海から見に行くことに。
 宿からほど近い場所にあったので、三十分と経たずに海へ到着。特にそこは名所というわけではありませんでしたが、海の水は澄んでいて綺麗でした。ゴミとかがちらほらと見え隠れはしていましたが……。

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[向かいに浮かぶ小島]

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[港の風景]

 一時間くらいは、この港の辺りでぶらぶらしてました。
 木と石で野球もどきを始めるGUCCIとゴリとか、波打ち際に降りて石投げに興じる江頭とゴッドとか。って石投げてばっかじゃねーか!
 ちなみに私は投げた石がゴリに直撃しました。……あれ、一番性質悪くない?

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[むっつり爽やかメンバーズ]

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[むっつり明後日メンバーズ]

 この間本人にも言ったんですが、この面子だとゴリがいない方が映えるんですよねえ。私とゴリがむっつりバスターズのビジュアルレベルを落としている要因なので、なんともはや。まあ私は写るよりも撮る方が楽しいのでいいんですが。……本当ですよ?
 ちなみに写真掲載に関しては相変わらず無許可です。
 訴えられる日も近いかもしれません。

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[早雲とかはこの海から討ち入りしたのだろうか]
 この旅行とはまったく関係ありませんが、最初の戦国大名と言われる北条早雲は駿河から海を利用して伊豆に攻め入ったと言われています(伊豆討ち入り。東国戦国時代の幕開けとも言える出来事)。
 つまり、ここから日本の戦国時代が本格的に始まった、とも言える海なわけです(個人的に応仁の乱は、戦国時代が始まるきっかけではあっても、戦国時代の幕開けというように考えられないんですよねぇ)。
 人のいるところに歴史あり、というところですかね。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第五話「ゆうべはおたのしみでしたね」

 実際はちっとも楽しんでなかったけどな!>昨夜
 というわけで、どうにかこうにか挽回してきました。大抵の問題って終わってみると虚しいですねぇ……。解けた瞬間は超嬉しかったけど。


 さて、伊豆旅行日記の続き。
 七福神ツアーから戻りつつ、GUCCIからくしゃみに関する講釈を聞いていたりした夕暮れ時。戻るとそこには、豪華な夕食が。
 まさに旅館の料理、といった内容。普通におかわり三杯くらい食べるゴリやGucciを見て「お前らどんだけ食うんだ……」とか突っ込んでいたら夕食時も終了。
 その後温泉も堪能。露天風呂は貸し切り状態。いい年こいて水かけあいをしてはしゃいでおりました。まあそれだけではなく、見える風景もしっかり楽しんできましたがね。夜の竹と月は良いものです。


 そして、無駄に体力が有り余っていたバスターズはカードゲーム大戦に突入。初期のUNOでは主に私が快勝、後半の大貧民では立場が逆転。私は長期にわたり大貧民の地位にありました。
 大貧民では「へぁー」となっていた江頭が、大貧民では異常な強さを発揮。2とかジョーカーとかすぺ3とかまで独占するってどんな運の強さだ……!

 そんなこんなで一日目は終了。
 はたして翌日以降はどうなってしまうのか……!?

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第四話「回りきれない七福神」

 なんだかんだで休日も勉強してました。うーん、休日を休日らしく過ごせるようになるのはまだまだ先か。ダイ・ハードとスパイダーマン、どっちも最新作まだ見てないことに気づいた今日この頃です。


 適当なあらすじ
 三島大社を後にしたむっつりバスターズは、宿に向かって走り続けたのであった!

 ということで、無事旅館に到着したむっつりバスターズ。なかなか風情が感じられる宿で、庭なんかも着いてて部屋も割と広々としてます。六人部屋で予約したから当然と言えば当然か。

 到着して宿の説明を聞いたむっつりバスターズ。まだ夕食までに時間があるので、適当に周囲を散歩することに。宿の人が教えてくれた「七福神ツアー」をしに行きました。

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[宿の近くにあった坂道から山登り開始!]
 そんなに大きなものではありませんけどね>山
 というか山と明記されていたわけではないので、実は丘だったりするのかもしれませんが、とりあえず山っぽい感じでしたので山ということにしておきます。
 階段を上って行くと、やがて広い場所に。そこには、七福神とは別物と思われる仏像が。山の中腹の広場、といったところでしょうか。何か石垣の址っぽいものもあったような気がします。元々は何だったんでしょう。

 そこから更に、少しだけ登ったことろに、ありました。
 毘沙門天です。

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[毘沙門天像]
 毘沙門天というと、最近ではガクト上杉が思い浮かびます。いろいろと強烈なキャラクターだった。
 東寺で見た像比べると、やや簡素な造形になっていて愛嬌が感じられますね。あちらは重厚かつ重々しかっった、という印象があります。

 そこを更に登って行くと、次第に道は曖昧なものへ。おまけに前日か前々日かに雨が降った影響か、地面がぬかるんでて割と危険そうな状態でした。柵ないのにズルッと滑りましたからね、何度か。

 ただ、登った甲斐はありました。登りきったところにあった展望台らしきところから見る景色は、まさに絶景。おまけに私が好きな夕暮れ時ということもあって、内心「オクレ兄さん!」と叫びだしかねないほど狂喜してましたよ!(危ない人だ)

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[暮れゆく伊豆長岡の町並]

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[陽は沈み、そのうちまた昇る]
 ちなみに、登りきってしばらくしたところで気付いたことが一つ。
 七福神像は東西に分かれていて、西から東、あるいは東から西の順に行くのがセオリーだったっぽいのですが、我々はそのど真ん中辺りを南から北上してきたらしいのです。全部周りには一番不適切な開始地点。
「ま、いいか」
 そうそう何もかも思い通りにはいきません。夕食までの時間も限られているので、我々は適当に数か所だけを見て回ることにしました。

 ちなみに、その後も山中をいろいろ歩きながら、それぞれの近況を話し合ったり。
 就職したり院に行ったりと、皆それぞれの道を頑張っているようです。馬鹿なことばかりやってた昔を思うと、もう皆が大人になってる、という実感が湧いてきません。……多分この面子が揃うと皆童心に帰るからかなぁ。

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[キュクレ……大黒天]
 最後に、清水寺で緑やピーターからキュクレイン(というか私)っぽいと言われた大黒様。こちらのバージョンはものっそい穏やかですね。……というか清水寺の大黒様は何であんなあくの強そうな面構えだったんだろう。

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