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日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第十話「新九郎」

 明日むっつりバスターズのメンツと会うので、まだ旅行の写真渡してない連中にやろうと印刷していたところ、インク切れが発生(つい先程。午後十時過ぎ)。さあどうする。


 そんなこんなで今日も相変わらずの旅行日記。
 ゴールデンウィークに何か書くようなことはないのかと言われそうですが……
 ありません!
 基本的にいつもの土日と同じです! 家族でどこか行こうと考えたものの、遅すぎたのか宿の予約が取れなかったんですよ。なので出かけると言っても駅前の辺りまで行ったりするぐらい。
 絶望した! 味気なさすぎるゴールデンウィークに絶望した!
 来年は有給で有意義なゴールデンウィークを過ごしてやる……!


 では気を取り直して旅行日記本編。
 グロッキー状態から回復した私は、翌朝六時前後に覚醒。すっきり頭痛も治まっていました。しかし、周りはまだ皆ぐっすり熟睡。バスターズの連中は夜型が多いので、朝に弱いようです。
 ここで脳裏に浮かんだ選択肢は三つ。
「皆のだらしない寝顔を激写して『寝起きスペシャルごっこ』を実行する」
「寝てる傍で変な言葉をささやいたら夢の内容が悪化する、という漫画でありそうなパターンを実際にやってみる」
「特に何もせず待つ。現実は非情である」
 まあ一と二は実際にやったらえらいことになりそうなので、仕方なく三を選択。まあ考えるだけでこんなこと実際にやったりはしないのが紳士というものです。考えるだけならしょっちゅうしてますが

 しかし、待ってるだけというのも暇なもの。本でも読もうかと思った矢先、少しずつ皆が起きてきました。もっともベッドから出る気力はまだない模様。
 このとき私の脳裏に、ある考えが浮かび上がりました。
(考えてみればこの旅行は今日で終わり。今日は一旦西に向かってポーラ美術館、その後再び東進し小田原城に向かう。そうなると時間は微妙っ……! 翌日に研修を控えている身としては、小田原観光を終えて帰宅するのも出来るだけ早い時間が良い……。どうなんだ、早雲寺ッ! 行く時間はあるのか!? ないなら今……行くべきじゃあないのかっ!?)
 そう。この旅行、とにかくこちらの予測の斜め上を行くというどっかの王子並の厄介な性質を持っている、ということに、この頃私は気づきつつありました。特に時間関係。車での移動は電車などと違って正確に何分で着く、というのが予想出来ない。帰りのことを考えると、高速の出入り口で詰まる危険性も非常に高い。余裕には余裕を持って行動しないと、到底スケジュール通りには行きません。
 修善寺も全て回れたわけではなく、蛭ヶ小島も足を運ばずじまい。それらはまだ良いのですが、この旅行で私が是が非でも足を運んでおきたかった「韮山城」「早雲寺」「小田原城」は譲れません
(妥協はしないっ! 俺は……見に行く!)
 決断するやいなや、私は起きかけていた皆に「ちょっと早雲寺行って来るわ」と言い残し部屋を出発。前日ぶっ倒れていた私が心配だったのか、ゴリも一緒に行くことに。
 坂道が多い中「ツンデレがどうだ」の「ヤンデレがどうだの」という会話をしながら早雲寺へ。ちなみに私はツンデレは特に好きでも嫌いでもなく、ヤンデレは普通に怖いと思う人間です。互いに腹の探り合いとかするのはちょっと良いかな、という気もしますが(ぇ

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[ゴリはいてつくはどうを使った!]
 ということで早雲寺の門前に到着。宿から歩いて六分程度で着きました。駅からも近いし行きやすい観光スポットですね。朝早いのでまだ誰もいませんでしたが。
 ちなみに正門の写真、これしか撮ってませんでした。無人バージョン取っとけば良かった。まだ頭痛の影響が残ってたのかなぁ。

 何日か前に雨が降っていたのか、寺の土は結構ぬかるんでました。入ってすぐに本堂、そこから左に進んで見ることに。少し進むと階段があり、そこを上ると……。

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[北条五代の墓]
 後北条氏五代の墓が並び立っていました。右から順に初代・北条早雲、二代目・北条氏綱、三代目・北条氏康、四代目・北条氏政、五代目北条氏直。初代から通して、皆通称は新九郎です。
 関東一円を支配した大名家の墓としては質素に過ぎるんじゃないか、という印象を抱きがちですが、元々後北条氏は自分たちの贅沢よりも領国の安定を重視していた家柄。むしろ、こういう質朴な感じのする墓の方が似合うかもしれません。

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[曲直瀬道三……?]
 あれ、なんでこんなところに曲直瀬道三の墓が……と思っていたんですが、後々これは道三の養子の墓だということを知りました。確か直接見たときはゴリに対して偉そうに「道三ってのはだな」と語ってたような気がします。何この知ったかぶり。

 他にも宗祇の墓があったらしいのですが、これは発見できず。あまりのんびりと見てたら朝食の時間になってしまうので、結構時間を気にしながらの観光でした。幻庵が作ったという庭園も見てみたかったのですが、それもまた今度の機会に。

 ちなみに、宿に戻った私とゴリを待っていたのは、まだまだ爆睡してる他のメンバーの姿でした。いったい何時まで、どんな話をしてたのやら。

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第九話「お気疲れの紳士(偽)」

 箱根の天嶮を超えたむっつりバスターズの面々は、箱根湯本駅に到着。坂道の多い宿場なので車での移動は難儀でした。人も結構多いし入り組んでるので。

 どうにかこうにか宿に無事着くと、一行は部屋でぐだーっとしたりだらーっとしたり。ゴリは何か筋トレとかしてたような気がします。ふっ、ふっ、筋肉、筋肉が唸る!
 しかしまあこの頃からちょいと頭痛に見舞われ始めていた人間が約一名おりまして。
 まあぶっちゃけると私なんですが。
 頭痛なんて放っておけばすぐ治る。そう思っていた時期が俺にもありました……(ぇ

 その後、宿一番の目玉であるバイキングに出発。
 一人九〇〇〇円で朝夕の食事つき、しかもどちらもバイキング!
 バランスよくそこそこ食ってるのもいれば(江頭)、見てる方が気持ち悪くなるぐらい食べまくる奴もいました(ゴリとGucci)。ちなみに私やゴッドはひたすら好きなものばっか食べてました。マグロとかカニとかマグロとかマグロとか(をい

 しかしその辺りが限界だったんでしょう。
 夕食が終わる頃には頭痛が次第に悪化、私はえらくグロッキーになってました。ゴリ曰く「気疲れなんじゃない?」
 確かに気疲れは結構ありました。特に時間のこととか観光地決めのときとかルートの都合とか宿のこととか。当初はそういうはずじゃなかったのに、いつの間にか私がほとんど幹事役やってんじゃん! というような状態でしたからねえ。車の運転という面ではゴリと江頭にお世話になりましたが。
 あと今にして思えば、箱根越えのとき車の窓が思いっきり開けっ放しだったので、風邪をもろに浴びてたってのもあるかもしれません。閉めておけば良かった。

 しかし時間が時間なので薬局が空いているわけでもなし。
 とりあえず宿のフロントの方に尋ねてみたら、備えの薬を貰えました。計算通り……!(待て

 どうにかこうにか、夜寝る前になると多少は回復。確かGucciと恋愛話をしてたような気がします。振り返ってみればこの旅行では彼とよく話したな。

 回復した日暮には一つの懸念があった。それは"時間"の問題である。
 念には念を。己の願望を満たすため、日暮は早朝、こっそり部屋を抜け出すのだった……!
 次回、『雨上がりの朝の寺』

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第八話「後北条氏最初の城」

 どうでもいいことなんですが、「さいしょ」と打つと「税所」が第一候補として出しゃばってきます。何か嫌だ……。入力した覚えなんかないんですが。

 さて、伊豆旅行日記の続きです。
 修善寺の観光を終えたむっつりバスターズは、その足で北上、伊豆長岡の辺りまで戻ってきました。目的地は、そのままもう少しだけ北に行ったところにある韮山。個人的には、今回の旅行で是非とも行ってみたかった場所の一つです。
 私は「箱根の坂(司馬遼太郎)」を読んで以来、戦国時代に関東を治めていた後北条氏に関心を持つようになりまして。
 この韮山というのは、その後北条氏の初代・北条早雲こと伊勢新九郎が戦国大名へと飛躍して以降、死ぬまで本拠地としていた場所なのです。もっとも、後北条氏が滅ぼされ、江戸時代が始まる頃になると城は廃城になったと言われています。そのため現在残っているのは跡地のみ。後北条氏好きでなければあんまり面白くない場所かもしれませんね。

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[韮山の城池]
 韮山城の側にある城池。昔は湿地帯だったと伝わっているので、もっとこういう池や沼が沢山あったのでしょう。ちなみに、この近くには源頼朝が配流されたということで有名な蛭ヶ小島があります。時間的な問題で行くことは出来ませんでしたが。……伊豆地方は石橋山古戦場とか堀越御所跡とか、まだまだ行ってみたい場所が沢山残っています。そのうちまた足を運んでみたいものですが。

 ということで早速、旅行三度目の山登りを実地。
「何か山ばっかり登ってる気がするなあ」とは江頭の談。申し訳ない。多分それは十中八九私のせいだ。

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[早雲が創建したとされる韮山の熊野神社]
 山に入ってほどなく見つけた熊野神社。祀られているのはイザナミ。創建者は北条早雲で、一五〇〇年に建てられたらしいです。
 しかし、なぜイザナミを祀ろうとしたのかがちょいと気になりますね。イザナミはイザナギと共に国産みをした神。「新たな国を作る」という気概からこれを選んだ、というようにも考えられますが、それ以外にもイザナミは「黄泉の神」という側面もあるので、別の意図があったのかもしれません。
 早雲は伊豆・駿河に下向する前は京にいたというのが現在有力視されている説です。当時の京は応仁の乱の影響もあって荒廃、餓死者も多く出たと言います。……さて、そういう背景はこの熊野神社創建に関わっていたのかどうか。

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[かつては早雲も行き来したであろう道]
 さて、話が脇道に逸れました。
 これは韮山城の一風景。何か特別なものがあるわけではありませんが、古来ここで何が行われたのか、ということを想像すると楽しくなります。
 韮山城は早雲没後も伊豆支配の重要拠点とされ、豊臣秀吉の北条氏包囲網を前にしながら勇戦したと伝わっています。

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[山上から見下ろす韮山の風景]
 広がる田園風景。
 ここが多分一番高いところだったのかな? やや時間を気にしながらの観光だったので、その辺り確実なことは言えませんけど。
 ここで各々いろいろ叫んでました。何言ったかは結構うろ覚えなので割愛。

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[箱根の坂を越えて]
 その後、山を降りたバスターズは箱根の天嶮を越えて、箱根湯本駅の方へ。二日目の宿に向かうためです。
 このとき車内はほぼ全員が力尽きてダウン。やはり三度もの山登りはしんどかったのか……。運転してたゴリも若干静かだったので、「こいつ寝るんじゃないだろうな」と内心不安だったのは秘密です。


 箱根湯本を訪れたバスターズ!
 二日目の夜、そのとき起きた予想外の問題とは!?
 次回「グロッキーなのは誰だ?」

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第七話「鎌倉幕府創設の陰」

 さて、さくさく進めていきます伊豆旅行日記。
 西伊豆の海を後にしたむっつりバスターズは、そこから車で修善寺へ。
 観光名所だけあって、かなり賑わっていました。駐車場に困るぐらいに。けちっていたら止める場所なくて行ったり来たりしてしまいましたよ。あれは八割方渋った私のせいですが(ぇ。

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[修善寺にやって参りました]
 ともあれ、伊豆の観光名所の一つである修善寺にやって参りました。
 ここは源範頼、源頼家などが幽閉されて最期を迎えた地。鎌倉幕府創建の裏では結構血生臭いことや悲惨なことがありましたが、この寺はその象徴の一つかもしれません。
 現在は明るい宿場町なんですが、私はそういう前知識を持って来てしまったので、当時のことをあれこれと考えたりしてしまいました。範頼は義経と比べてより悲惨な気がするのは私だけでしょうかねえ……。まあ口は災いのもとということでしょうか。
 鎌倉創成期の主役でありながら、源氏の人々は皆どこかしら不幸というか気の毒な印象があります。頼朝も含めて。

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[桜と緑と]
 桜は勿論好きなんですが、緑の葉も最近良いよなぁ、と思うようになってきました。草の香りとか結構好きなんですよ。季節を感じられる、というのが一番の理由ですかね。

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[なぜか獅子に乗ってる義経]
 で、山に登って義経像を発見。
 ……義経か、これ?
 別に美形が出てくるのを想像してたわけではありませんが、何かイメージと違います。そりゃ実物見たわけじゃないので何とも言えませんが……なんだろう、このもやもやとした気持ちは。
 そして下にいる獅子は一体何なのか……未だに謎です。

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[一枚は出しておきたい風景写真]
 気を取り直して修善寺周りの風景写真を一枚。まあほとんど町並みは写ってませんけど。
 人物写真も良いですけど、旅をするからには風景写真が欠かせない、などと偉そうに考えるようになりました。行った場所のことをよく思い出せるから、ですかね。

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[独鈷の湯……の辺り]
 最後はこちら。弘法大使・空海の逸話が伝わる伊豆最初の温泉でございます。この写真は、正確に言うならその近くを撮ったものですけど。温泉自体は小さいもので、足をつけることができる程度。他の人も足をつけてたりしたので、さすがに撮影はちょいとしにくかったのです。
 これは修善寺のすぐ手前。修善寺ともども、空海が創建に関わっていたんだとか。平安時代の最初期。……古いですねえ。

 そんなわけでむっつりバスターズ、二度目の山登りを終えて、急ぎ足ながら修善寺の観光を終了!
 次回、『二度あることは三度ある!』。
 多分明日辺りに更新!

日暮の旅行日記・伊豆&箱根2008/第六話「駿河に向かう海を見る」

 さて、久々になる伊豆旅行記。そろそろ記憶が淡いものになりつつあります。忘れないうちに書かなければっ。


 一日目、三島大社を見て宿に泊まったむっつりバスターズ。
 翌日はどこから回ろうかという話になり、まずは西伊豆の海から見に行くことに。
 宿からほど近い場所にあったので、三十分と経たずに海へ到着。特にそこは名所というわけではありませんでしたが、海の水は澄んでいて綺麗でした。ゴミとかがちらほらと見え隠れはしていましたが……。

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[向かいに浮かぶ小島]

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[港の風景]

 一時間くらいは、この港の辺りでぶらぶらしてました。
 木と石で野球もどきを始めるGUCCIとゴリとか、波打ち際に降りて石投げに興じる江頭とゴッドとか。って石投げてばっかじゃねーか!
 ちなみに私は投げた石がゴリに直撃しました。……あれ、一番性質悪くない?

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[むっつり爽やかメンバーズ]

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[むっつり明後日メンバーズ]

 この間本人にも言ったんですが、この面子だとゴリがいない方が映えるんですよねえ。私とゴリがむっつりバスターズのビジュアルレベルを落としている要因なので、なんともはや。まあ私は写るよりも撮る方が楽しいのでいいんですが。……本当ですよ?
 ちなみに写真掲載に関しては相変わらず無許可です。
 訴えられる日も近いかもしれません。

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[早雲とかはこの海から討ち入りしたのだろうか]
 この旅行とはまったく関係ありませんが、最初の戦国大名と言われる北条早雲は駿河から海を利用して伊豆に攻め入ったと言われています(伊豆討ち入り。東国戦国時代の幕開けとも言える出来事)。
 つまり、ここから日本の戦国時代が本格的に始まった、とも言える海なわけです(個人的に応仁の乱は、戦国時代が始まるきっかけではあっても、戦国時代の幕開けというように考えられないんですよねぇ)。
 人のいるところに歴史あり、というところですかね。

尊氏の野望その十二「戦国三国志」

 一時は甲斐・信濃・越後・飛騨を手中に収め、出羽にまで侵攻しようとしていた武田家。しかし信玄率いるこの家も、奥州を制覇し北条・徳川を併吞した足利家の前に敗れ去る。
 信玄は織田家へ、謙信は大内家へと落ち延びる。両名を迎えた家はそれぞれ順調に領土を拡大しつつあった。
 織田は美濃の斎藤家を落とした後、破竹の勢いで浅井・六角を滅ぼし越前・伊勢・大和・紀伊など畿内の諸国を攻め落とし、ついには将軍家である京の足利家をも滅ぼした。そのままの勢いで四国の三好家を押し潰すも、長宗我部家との睨み合いによってその勢いはやや衰えたかに見えた。
 一方の大内家は、畿内や四国には目を向けず、九州への介入を試みた。島津に押されていた大友家を背後から攻め滅ぼすと、竜造寺家もこれに帰伏。南九州を支配する島津家は頑強に抵抗を続けるものの、もはや大勢は決していた。
 世がこのように激しく動いているというときに、東の足利家は不気味な静けさを保っていた。東日本をほぼ制した足利家、中央を制した織田家、そして西日本をほぼ制した大内家。戦国時代の覇者は、はたしてこの中の誰が掴むのであろうか――。

 とまあシリアスな語り口調で進めてきましたが、足利家が動かなかったのは、ぶっちゃけた話、そうした方が面白いから、というだけの理由です(ぇ
 いやだって東日本の勇士を大量に抱え込んだ今、普通に戦えば力技でどうにでもなりますし。人材面では織田や大内も凄いんですが、ゲーム仕様の兵力打ち止めとかもあって、戦力差がえらいことに。仕方ないので両家が勢力拡大するまで、こっちはのんびり貿易と技術開発。
 ついでながら、今後紹介する機会があるかどうか微妙なので織田家や大内家の人材面(有名どころと登録武将)だけ紹介しときます。能力値は面倒なので省略。

織田家
 羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・滝川一益ら元からの有名どころ(羽柴秀長や前田利家、佐々成政といった連中も当然います)。他、逃れてきた武田信玄、戦国最大級の悪人として(?)有名な松永弾正、細川幽斎や竹中半兵衛、黒田官兵衛、筒井順慶、美濃三人衆などなど。
 登録武将は、平清盛、宗盛、知盛(元一色家)、尊氏の弟・直義(元京の足利家)、佐々木道誉(元六角家)、楠木正成(元鈴木家)、赤松円心(元赤松家)など。
 中央関係はやっぱり平安・南北朝が目立ちます。しかし、面子だけ並べると恐ろしく豪華だなぁ……。

大内家
 毛利元就(寿命なしなので死にません)、他毛利家の人々(両川とか安国寺とか)、宇喜多直家、大友宗麟、立花道雪、他多数。
 登録勢は、吉田松陰、木戸孝義(桂小五郎)、高杉晋作、大村益次郎、伊藤俊輔、井上聞多、スサノオ、大国主など。
 登録武将、長州勢力が多過ぎ。しかし有名どころを探すと、他の時代では幕末の長州勢が目立ってしまいます。この時点から少しした頃、島津家の西郷隆盛とか大久保利通とかも参加しました(以前言いましたが、ゲーム本編はクリア済み)。

 そんなわけで、三国志状態になった尊氏の野望。はたして、これから各勢力はどう動いていくのか……!?

 ちなみに兵力の頭打ち解消のため、両家の兵力をいじって足利家と同程度にしておきました。そうしないと面白みがない。

尊氏の野望その十一「甲斐の虎と越後の竜、相模の獅子と三河の狸」

 宣言通り、どうにか荒波の将軍を更新できました。しかし、久々だからか出来は今一つ。やはりブランクがあると腕が鈍ります。

 さて、肥大化しつつあった武田を甲斐・信濃・飛騨に封じ込めた足利家。しかし敵は結構な兵力を残しているうえに、強い武将が割と多い。さてどう攻めようか、というところからです。

 前回やらかした波状攻撃のせいで、こちらの兵力もかなり減っている状態。むしろ負傷兵込みなら向こうの方が兵力面で得したんじゃないか、という有様です。
 仕方ないので、ここは待ち。相手の兵力が回復してこちらに攻め込んできたら、それを一つ一つ撃破していくという地味な作戦です。他の大名家を気にしないのであれば、この戦法はかなり有効ではあるんですけどねえ。いかんせん面白みは薄い。

 しかも、こういうときに限ってCPUは攻めてきてくれないので、気づいたら二年近く経ってました。信玄公慎重にも程がある……!
 で、ようやく岡崎に攻めてきてくれたので、それをちまちまと撃退。その隙に、前回作っておいた八王子城から躑躅ヶ崎をちょいちょいと突っついてみたりします。
 が、そちらの方は本気出した武田の皆さんによって撃退されました。織田とか武田は人材面での贔屓が激しすぎると思うんだ……。
 そうして二、三度武田の進軍を阻んだところでそろそろいいかと、今度はこちらが襲撃。北の春日山からは村上・義経・顕家の猛将を中心とした軍勢が深志城へ、八王子の関東組、駿府の元徳川組は躑躅ヶ崎へ、割と本気の侵攻を開始。
 当然次々と出てくる武田陣営。今回は西の織田が大人しくしてる(というか京の方の足利家とかを攻めてた)ので、武田もこちらに全力で臨んでくる、というわけです。
 この辺りは文章で説明しきれないのですが、とりあえず激戦でした。どちらの軍勢も次々と捕虜が出るので、何かと交渉画面が出てくる始末。
 向こうの中でもっとも恐ろしい信玄・謙信コンビは揃って躑躅ヶ崎。こちらは純粋に力と力の殴り合い、という点で苦戦させられました。陸上で謙信相手とかきつ過ぎる……!
 逆に深志城は真田幸隆・昌幸を筆頭に河合継之助(登録。元は飛騨辺りに配置してたような)、宇佐美など知将が勢ぞろい。戸隠の忍者の鬱陶しさも加わって、すぐに部隊が撤退したり物資奪われたりと、別の意味で散々でした。
 謙信らを相手にガチで殴り合うのも楽しそうと思ってましたが、想像以上に兵力の減り方が著しかったので、やむを得ず躑躅ヶ崎は包囲によって陥落させました。その後、謙信隊以外を一つ一つ潰し、最後に八王子からの援軍を率いてきた氏康によって謙信隊を壊滅。どんだけ強いんだよ越後の竜……。
 一方深志城の戦況は全然進展がない有様。なので脳筋連中の中に家康や本多正信、津軽為信などの知将を配置。それでも真田親子の相手は面倒でしたが、どうにかこちらも壊滅。
 ここまで来れば後は楽勝。飛騨にこもった武田軍を(途中織田に横取りされそうになりながらも)、壊滅させることに成功。ゲーム的に面白くしたかったので、あえて信玄と謙信は解放し、他の何人かを適当に登用。
 さすがに武田軍は精鋭揃い。支城を与えて譜代ステータスを得た古参には敵いませんが、かなりの凄腕ばかりです。
 そんな人々を受け入れるにあたって経営が苦しくなったので、能力値60以上のものを一つも持たない連中を一斉にリストラ
 革新は中盤になると武将数が多くなり知行を与えられなくなるので、こういうことはよくあります。そういうとこは微妙にリアル……。

 ちなみに、そんなことをしてる間に織田が畿内周辺を平定して一大勢力になってました。西の方も、登録武将多めに抱えた大内家が毛利・尼子といったライバル勢力を併吞して一大勢力に(史実でいう毛利ポジション)。
 ついでながら、四国は長宗我部が優勢で三好がぎりぎり頑張っている状態。九州は未だ三国状態(島津対大友対竜造寺)でした。いつも通りという感じです。

尊氏の野望その十「武田との死闘」

 どうも、明日には「荒波の将軍」でも更新したいなー、とか考えてる夕月日暮でございます。内容微妙に忘れかけてましたけど。まだ大塔宮との攻防辺りまでしか書いてなかったのか……。そろそろ風林火山なあの人も出すべきかなぁ(信玄に非ず)。


 さて、そんなこんなで昨日に引き続き尊氏の野望。
 寡兵の岡崎に武田の大軍が押し寄せてきたところでございます。
 ちなみに、なぜ最前線のはずの岡崎が寡兵なのかと言いますと、
 小田原から大軍で駿府攻め落とす→徳川の岡崎は兵少ないし少し連れていけばいいだろう、駿府空けとくと躑躅ヶ崎から攻め落とされるし→岡崎予想通りあっさり陥落→わざと残しておいた港に追い込まれた徳川家を勧告
 という流れだったからです。……いや、実際駿府空けると速効で武田の大軍がやって来るから危険なんですよ。距離もそんなに離れてないし。
 その点岡崎はまだ離れてるからまし……ではあるんですが、上記の理由により駿府から迂闊に兵は回せない。おまけに相手には信玄・謙信という革新反則武将の二人が顔を揃えているという状況。
 史実の尊氏だったらとっくに切腹してるところです。
 実際、どうしようかと悩みました。で、結局採ったのは岡崎放棄という手段(町並み全部叩き壊し、物資を全て持ち出しておくという嫌がらせつき)。
 尊氏も官位の関係で統率100オーバーなんですが、さすがに川中島コンビの相手は辛過ぎます。兵力の差も大きいですし。
 ただし、岡崎近くの港はそのまま残しておきます。普通に考えれば港も放棄しわざと相手に取らせる方がやりやすんですが、それではちょっと面白くない。ここは徹底抗戦してやることに決定。
 ただまあ、普通にしてたら港などあっという間に潰されてしまいます。
 そこでやったのが、躑躅ヶ崎電撃包囲作戦。
 駿府と岩槻、箕輪(岩槻と箕輪は北条から奪った)の三方面から、思いきって大部隊を躑躅ヶ崎に派遣。すぐに迎撃部隊+春日山辺りからの援軍を差し向けてくる武田軍。兵力に関してはあちらの方が若干上なので正直怖い作戦です。面子も信繁(信玄の弟)だとか真田一族だとか(寿命なしなので幸隆爺さんも元気です)新発田・柿崎・宇佐美といった旧長尾家臣軍だとかが盛りだくさん。
 しかし、こちとら人材面ではもはや負けてません。津軽為信、安東愛季、最上義光、北条義時(登録)といった奥州の猛者たちが、果敢に立ち向かう。
 それでも戦況は正直苦しい……というところで、黒川城に詰めていた義経をはじめとする騎馬軍団が、電光石火の勢いで新発田城を落とし、春日山へ急接近。慌てて引き返す武田軍。その隙に、相当無茶ではありますが、残りほとんどの兵を躑躅ヶ崎へ向けて進ませます。
 こうなると武田は岡崎からも援軍を出さざるを得ない。
 要するに、波状攻撃を仕掛けて相手の隙を作ったわけです。
 策とも言えない強引なやり方ですが、CPUは基本的に馬鹿なので、結構引っかかってくれます。むろん、こちらの損害も考えると岡崎を取り戻し、新発田を取る程度で済ますつもりはありません
 無謀なやり方で躑躅ヶ崎を攻める裏では、岩槻との間に支城をせっせと建造。さらに、春日山は義経と北畠顕家(登録)の猛将二人を絶え間なく攻めさせることで陥落に成功。
 幸いにも、信玄本人は西から喧嘩売って来た織田家を叩きに行ってたので不在。織田家死ぬんじゃないかと思いましたが、どうにか乗り切った模様。こちらが武田と死闘を繰り広げている間に斎藤・六角をちゃっかり滅ぼしてました。……こうなると織田は一気に伸びやすいので、ちょいと怖いところ。島津とかもそうですが、最初大人しくて下手すると滅ぼされる有名大名って、修羅場をくぐり抜けた後は鬼のような強さを発揮しますからねえ。
 ともあれ、これで武田は越後を失って甲斐・信濃・飛騨を有するのみ。一時期に比べれば大分ましにはなりましたが、兵力や人材を考えると、迂闊な手出しもまだ出来ません。さてどうするか……。

尊氏の野望その九「武田・北条連合戦・第二幕」

 今日はドコモの携帯を機種変更。これまで使ってたのが、たまに動かなくなったりしてたのが変更理由です。同じ系列のものを買ったので、そこまで操作性は違わないだろー、とか思ってたら結構変わっててびっくり。まだ3年ぐらいしか経ってないというのに……!

 最近日記の放置が続いていたので、今週はこれまで溜めてきたものを消化することを目標にしたいと思います。旅行日記とか尊氏の野望とか。

 というわけで、随分と久々になる尊氏の野望から。
 一応説明しておきますと、これは「信長の野望・革新」のプレイ日記でございます。難易度は上級、日本史上の有名人物を登録武将として多数追加し、その中の一人「足利尊氏」を古河御所の大名にしてプレイスタート、というのが初期設定。
 現在は奥州を制覇し、膨張した武田(いじって謙信加入済み)と、固さに定評のある小田原城にこもった北条を相手に喧嘩したところまで書き進めておりました。


 で。
 結果的には、北条を先に潰しました。
 それも一気に。
 これにはちょっと理由がありまして。箇条書きにすると、以下のような感じになります。
1:内政出来る人材増やして金と米を増やしたい
2:北条の方が所有国数が少ないので、早い段階で完全に潰せる
3:武田と喧嘩しても得られるものはほとんどない
4:革新の性質上、ちんたら中途半端に動いてると西の連中(織田とか毛利とか)がえらいことになる
 1と2は改めて説明するまでもありません。3はちょいと補足しますと、武田の所有国は守りにくかったり土地としての旨味が微妙だったりし、かつ、武田の人材を捕虜にしても忠誠心高過ぎて引き抜けないという問題があります。ので、武田の人材が欲しいなら一旦武田家を完全に潰さないといけない→現状の戦力でそれはきつい→んじゃ先に北条取ろうという結論に至った次第。4に関しては、実際プレイしたことのある人は分かるんじゃないかと思います。のんびり構えてると積みますからね、このゲーム。
 ということで、持てる兵力の大半で一気に北条を押し潰し、勧告によって氏康以下優秀な面子を一気に召抱えることに成功。
 ……その裏では、資金問題の関係でリストラされた人々の嘆きの声があったとかなかったとか。

 で、今度こそ武田との戦……と言いたいところですが、基本的に私はチキンなので、念には念を入れようと、駿河まで伸びていた徳川家を叩き潰すことに。いかに徳川の人材が優秀であろうと、駿河と三河の二国だけで奥州・関東を制覇した足利家に敵うはずもなく、こちらも勧告によって家臣全部を一挙にゲット。
 ここまでやって、ようやく武田との決戦に臨む腹をくくります。更に西の織田家はまだ小さいので、まあ放っておいても平気かな、と。
 ちょうど岡崎に武田が侵攻してきたので、こいつを手始めに返り討ちにしてやろうと兵数を確認。
 三万。
 敵の総数は、六部隊で十万近く
 率いているのは、信玄本人だったり謙信だったり山県とか馬場とか……。
 対するこちらの守将は、徳川家の連中が港に逃げていたせいで、尊氏と師直他三名の内政要因。
 ……まずい、これでは観応の擾乱前半と同じオチになってしまう……!

 というところで次回へ。

OH!ジャマジャマ!

 この休日は大神やったり勉強したりラジオ聞いたり勉強したりてました。超インドア派な生活だ……。

 で、まず大神は全クリ。釣りと動物はコンプしてませんが。釣りはマンボウっぽいので諦めました。無理だよあんなの!
 シナリオに関しては好印象。意外性はやや控え目ですが、王道的な物語。しかし、王道は魅せ方さえ間違えなければ十分生き生きとするもの。と、この作品を見ているとそんな気持ちになれます。特にラストバトル前後は音楽も相まって神懸かってましたね。あれはやばいよ。
 で、今少し触れましたがこの作品で一番だったのは音楽だった、と個人的に思うわけですよ。キャラクターや世界観も魅力的でしたし、純粋にゲームの質を見ても高水準だとは思いますが、特にずば抜けて良いのは音楽だったと思います。曲そのものが素晴らしいというものもあれば、状況を盛り上げてくれたり登場人物の印象を強くする、支え役として出来の良い音楽もありました。繰り返しますが、ラスボス戦前後の音楽は本当に素晴らしい出来だったと思います。
 ちなみに、攻略サイトを頼りながらですが「はぐれ球」はコンプ。例の極悪アイテム使って二週目もちょっとやってみましたが……これは別の意味でやばいですねえ。強くてニューゲームどころではない(苦笑)。


 ラジオは「うたらじ」以降ちょいちょいと聞いてるんですが、不意に見つけてびっくりしたのがラジオスクライド。「なぜ今更スクライド?」と思いつつ、スクライド大好き人間としてはたまらん内容でした。クイズとか濃過ぎる。っていうか全四回って短すぎるよ!


 勉強の方はシェルとexcelのVBAについて。今週の木曜から現場に行くことになったんですが、そちらで使われてるので、どういうものかぐらいは把握しておこうと調べてみました。
 が、結果はまだまだと言ったところ。シェルはUNIX環境で行われる言語なので、まずUNIX環境をどうやって用意するかで悩んだりとか(とりあえずcygwinを利用することに)、VBAはどういうコマンドがあるのかで悩んだりとか。
 あまり良い結果とは言えないので、水曜までは帰宅後無理しない範囲でぼちぼちと予習していきたいと思います。